キルギス日記

JICA青年海外協力隊(2019-1)/高校英語/キルギス/開発教育/ESD

3か月キルギスの学校で活動してみて思うこと

12月15日。あと今年も16日…

いよいよ本格的な冬到来!!昨日午後から降り続き、銀世界!寒いけどちょっとテンション上がります。

 

学校での活動が始まってから3か月半くらいが経とうとしています。

日本とキルギス、同じ「学校」で働くといってもこんなにも違うものか…!という数々のカルチャーショックを感じながらも、だいぶ生活はルーティーン化されてきました。

 

この3か月で感じたこと、「やっぱり自分、本当に日本人なんだなーー」ということ。

キルギスでの「予定」とはかなり流動的なものです。

例えば、「明日は秋の日のお祭りだから、授業はないよ」と言われていても、学校に行ってみるとなぜかその行事は翌々日になっていたり。(理由はあるのだろうけどよくわからず)明日は教育局の人が来るよ、ということで先生方もスーツなどのかっちりした服装で来ていても「来るのは来週になったわよ」と。

 

本の学校だと起こらないことが普通に毎日起こるので、前の日に想定した通りに一日が進まない日々。これがこの3か月、今振り返ると結構自分の中でもやもやしていたのだと思います。

 

"何事も計画的に、ちゃんとみんなが同じ目線に立てるようにするための共有”が大切で、常に逆算して考えなければならない日本での仕事。会議や行事は計画されているものは行われるのが当然で、しかも時間はきっかり。1秒でも教室に入るのが遅れたら「遅刻」になる学校。これって、本当に日本らしいことなんですよね、たぶん。

そして、日本で30年生きてきて、自分がその日本の常識にどっぷりだということにも気づきました。キルギスでは私は言葉もままらないマイノリティで、こちらにはこちらなりのロジックがある、ということを頭ではわかっているつもりなのに、どうしても自分の当たり前を周囲に求めてしまいそうになる怖さ。それはまだまだあるけれど、やっと3か月ちょっと経ち、良い意味で「適当」に考えていけるようになってきた気がします。ちょっとのミスも、まったく気にしない(気にしていないように見えるだけ?)おおらかさに、助けられることも多い。その「寛容さ」を最近は少し心地よく感じ始めているのかもしれません。

 

もうちょっとしたら、今後の活動の目的を決める時期がやってきます。

英語の授業についてもいろいろ考えます。

日本で生まれた授業スタイルや教え方は、「日本人の性格や学校のスタイル」を踏まえた上で生み出されてきた方法で、じゃあ「キルギス人の性格や学校のスタイル」にあった方法って何なのかな?と。「学校の授業は、大人になってから幸せに生きていくための頭の使い方を学ぶ場であるべき」というとある映画の中の言葉がずっと残っています。国は違えど勉強することの意味ってきっと変わらないはず。真理はどこでも、どんな時でも変わらない、という美輪明宏さんの言葉が思い出される、、

そして対峙する子供たちも、国籍は違えど本質は変わらない。なんだかんだ元気をもらうのは子供たちからです^^

いろいろ面白い出来事を書きたかったけれど、ただの3か月たった振り返りになってしまいました。焦らず、日々の生活を楽しみながら生活していきたいと思います。

 

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学校への道。朝7時半に家を出るときは真っ暗。徒歩25分。よい運動!

 

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保護者会がありました。家庭教育の大切さを学校が教えているもよう。

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小3クラス。学校で使う道具の単語を勉強中

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ツリーができてきた!でも新年を祝うため。生徒は12/25がクリスマスと知らないようです。